ANMELDEN私が向かったのはそのエントランスの奥、ひっそりとした通路の先にある「六本木レジェンド倶楽部」へつながる専用エレベーター。
ほのかな光壁に照らされた淡いグレーのエレベーターホールは、東京のど真ん中とは思えない静寂に包まれている。
そこには、一組のカップルが居た。
男性はグレーのスーツを纏った壮年紳士。
女性はエルメスのドレスに髪を美しく巻き上げた淑女。その姿勢、身なり、身のこなしを見るだけで「持つ者たち」だとわかる。
私は彼らの後に続き、静かにエレベーターへと足を踏み入れる。
——行き先ボタンは一つ、“58階”のみ。
まさに選ばれた人間だけが辿り着ける場所。
エレベーターがゆっくりと昇るにつれ、あの男女が時折こちらをチラリと見た。
(まさか、一人で来たのが変……?)
(服装はちゃんとしてるし、プロにメイクしてもらったし……大丈夫だよね)
その時、本庄マイクが最後に言っていた言葉を思い出す。
——「完璧に仕上がったわ。
あとはあなたが堂々と歩けば完成……自信を持ちなさい」 心の中で深く息を吸う。緊張は消えない。でも、顔に出すわけにはいかない。58階に到着すると、金属の重い音を残して扉が開いた。
受付前で先ほどのカップルが金色の会員カードを提示し、慣れた様子で奥へと案内されていく。
私は……カードなんて持っていない。
一瞬だけ足がすくみそうになったが、拳を小さく握り自らを鼓舞する。
「——本庄さんに、何より三條さんに、恥をかかせるな!」
私は姿勢を正し、ゆっくりと、そして堂々と受付カウンターへと歩き出した。
すると周囲にいた人々が次々と私を見る。
明らかに、妙に注目されている。 それでも怯まず受付に事情を説明しようと声を出す。「あの、私は——」
そう言いかけた瞬間、脇に控えていた黒服の男性が、穏やかな声で話しかけてきた。
「失礼いたします。天道様でいらっしゃいますね?」
「え? はい、そうです。天道美咲です」
「お待ちしておりました。三條様がいらっしゃる特別控室へご案内いたします」
私は少し戸惑いながら、その男性にエスコートされる。
円形の建物に沿った緩やかなカーブを描く廊下の先、柔らかい絨毯を踏みしめて歩く。「あの……どうして私が天道だと?」
「三條様のご同伴の方ですから。見れば、すぐに分かりますよ」
「……どこか、変でしたか?」
黒服の男性は、少し微笑んで言った。
「ご冗談を。明らかに“別格”のオーラがございましたので、間違いようがありません」
“別格”のオーラ——ってなに?
その言葉の意味は、まだ自分ではよく分からなかった。通路の外には大きなガラス窓。
そこに広がるのは、宝石のように煌めく東京の夜景。赤く光る東京タワーがまるで、この街を統べる“証人”のようにそびえ立っていた。
(私は……どこへ来てしまったんだろう)
美しさと緊張に押し潰されそうになる心を、私は奥歯を噛みしめて支えた。
その頃——六本木レジェンド倶楽部の最奥にある特別控室。
パーティ主催側に用意された重厚なサロンには、三條財閥の人間たちが静かに集っていた。
壁は漆黒のマホガニー、棚には年代物の洋酒とガラス工芸。
財界の重鎮が集うそのラグジュアリーな空間は、まるで“裁判所”のような空気を孕んでいた。三條圭はその中央に立ち、窓際の夜景にも背を向け、黙してグラスの水を口に運んでいた。
「……それで? 圭、お前は一体いつになったら“人としてのけじめ”をつけるつもりだ」
低く鋭い声が部屋に落ちた。
発したのは、三條成彬。財閥の中でも政治畑を仕切る実力者であり、圭にとっては叔父にあたる人物だ。「男三五。副社長にしてグループの次期後継候補。それが未だ独身、婚約者の一人もいないとは、どういうつもりだ」
ソファに並ぶ親類たちが、一斉に視線を向ける。
社交辞令ではない、これは“血族”としての圧力だった。「……自分のことは、自分で決めます」
圭は短く応じた。
「責任とは、“自分で決めること”だけじゃないのよ圭。家の名を背負う者には、“決められた枠”の中で果たす責務があるでしょう?」
もう一人、年配の女性親族が言葉を足す。
圭はグラスを置き、無言のまま視線を床に落とした。
(結局、誰も“私”を見てはいない)
“次期総帥”“三條家の器”“圭様”――
誰もが、自分に何かを期待し、計算し、そして形にはめようとする。
それがいつしか、彼から“人を信じる感覚”を奪っていった。
「見合いの話、またいくつか届いている。一度くらい真面目に考えてくれ。顔も家柄も申し分ない相手ばかりだ」
成彬の言葉に、別の親類たちが小さく頷く。
「で? 今日の同伴者は誰だ。どうせまた、適当に連れてきた女だろう?」
そう言って誰かが鼻で笑った。
圭は答えず、ただグラスの中の氷を見つめていた。
その時だった。控室のドアが、静かに開いた。
そして—— 天道美咲が、ゆっくりと入ってきた。 ライトグレーに近いシルバーがかったドレープのカクテルドレス。 派手ではないのに、ひと目で分かる“異質な美しさ。 背筋を伸ばし、細い首をすっと立てたその女性は、 明らかに場慣れしてはいなが、しかし——不思議と堂々としており、その目の奥に、静謐な光を宿している。
彼女が現れた瞬間、室内の空気が明らかに一変した。 沈黙。その挙動に集まる視線。誰もが思った。「誰だ、この女は」と。
しかし何より、圭自身がその姿を見て、言葉を失っていた。
(……まさか)
彼女は“赤”を選ばなかったのか。
過去、圭は本庄マイクに女性の同伴コーディネートを依頼する際、決まって「赤系が好み」と伝えていた。
それは、“相手が自分に媚びてくるかを測る”ための嘘だった。 そしてこれまでは見事に、全員が赤を選んできた。光沢のある真紅、ルージュのようなカーマイン、深いワインレッド——
どれもが彼女たちの“処世術”の証だった。
だが、美咲は違った。“圭に好かれる色”ではなく、“自分の良さが光るスタイル”を選んできたのだ。
その瞬間、圭の胸にざわりと風が吹いた。
想定外に初めて“揺さぶられて”いた。
思わず言葉が詰まり、グラスを握る指先に力が入った。
「……彼女が、今日の私の同伴者になります」圭が口を開いたとき、親類たちの視線が一斉に彼女に注がれた。
「天道美咲です。本日はお世話になります」
そう言って丁寧にお辞儀をする美咲に、誰かが探るように尋ねる。
「どちらの家の娘さんかな?お名前に聞き覚えがないが」 すると圭がすかさず返答する。「彼女は一般の方です。私が、必要だと判断し招きました」
その言葉に、また一瞬の沈黙が走った。
だが美咲は、その沈黙にも負けなかった。 誰にも媚びず、怖気づくこともなく、まっすぐに圭のほうを見て、微かに頷いた。その仕草に、圭は思わず、ほんの僅かだけ口元が緩みそうになるのを抑えた。
そして——
その場にいた中で、誰よりも静かに圭の変化に気づいた者がいた。
三條愛。
圭の母であり、かつて社交界の女王と呼ばれた元華族の女性。
彼女は、美咲と圭の視線が交差したわずかな時間に、“圭の内側が揺れた”ことを確かに察知していた。
(……この子、ただの同伴者じゃないわね)
それが彼女の直感だった。
圭が、ただの“適当な女”にあんな視線を送ることなど、あり得ないわ。
その時、色めき立つ雰囲気を断ち切るようき三條成彬が口を開く。
「今夜は、我々の進める例のプロジェクトの障害となっている大富財閥の面々も来ている——圭、しっかりな」部屋の空気が、ゆっくりと変わっていく。
そうこれは、ただの財界パーティではない。
今夜はなにか波乱が起こる――そんな、誰にも説明できない“予感”だけが、確かにその場に満ちていた。
(つづく)月曜日の朝。 私は震える手でスマホの証券アプリを開いた。 画面に映し出された数字を見た瞬間、血の気が引いた。 『レヴァンスト 前日比 -1,000円(ストップ安)』 それは多すぎる売りに対して市場が混乱しないように、証券取引所が売買を強制ストップさせている状態。 -1000円は暫定値で、実態はもっと低い。つまり値がつかない状態だ。 (終わった……本当に終わった) 九条さんの投資してきれた100万円が、私の夢が、すべてが一瞬で崩れ去った。 画面を見つめたまま、涙がポロポロと落ちる。 でも、周囲に気づかれるわけにはいかない。私は慌ててハンカチで目元を拭いた。 (相談する相手もいない……これは私一人の戦いなんだ) 同僚たちの何気ない雑談も、今日は妙に耳について仕方がなかった。「昨日のあの配信見た?」「今度の連休、どこ行くの?」——そんな他愛のない会話が、まるで別世界の出来事のように感じられた。 その日の私は、まるで魂が抜けたようだった。 資料作成では、いつもなら絶対にしないようなミスを連発した。 数字の桁を間違え、グラフの軸を逆にし、顧客名を取り違える。(もう、何やってるんだろう、私……) 頭では分かっているのに、手が、目が、思考が、まったく連動しない。 投資の失敗が頭から離れず、何度同じページを見ても内容が入ってこなかった。 取引先からの重要な電話では、相手の会社名を聞き間違えて違う部署に回してしまい、大きなクレームに発展した。「天道さん、ちょっと」 上司に呼び出された時、私の心臓は嫌な予感で縮み上がった。「最近どうしたんだ?こんなミス、君らしくないぞ」 上司の呆れた表情が、胸に突き刺さる。「申し訳ありません……」「体調でも悪いのか?」「いえ、そんなことは……」 体調が悪いわけじゃない。心が、魂が、ボロボロになっているだけだ。 でも、そんなことは言えるはずもなかった。 ——昼休み、私は一人で社内のカフェ・レストランに向かった。 オフィスにいると、同僚たちの視線が気になって仕方がないからだ。 でも、トイレで聞こえてきた会話に、私は足を止めた。「天道さん、最近変じゃない?」「ああ、仕事のミス多いよね」「財界パーティに出てたって話、本当らしいよ」「えー、マジで?
三條玲の登場により、晩餐会の空気は一変していた。 圭の表情に浮かんだ硬直、親族たちの微妙なざわめき、そして何より——圭と玲が放つ、見えない緊張感。 私は二人の間に立ちながら、胸の奥で不安が渦巻くのを感じていた。 (この人が……圭さんの人間不信の原因なのかな) 玲は圭と同じ背丈、同じ骨格。だが纏う空気がまるで違っていた。圭の冷静さに対し、玲にはどこか攻撃的で鋭い何かがある。「——美咲さん、でしたね」 玲が私に向き直り、優雅に微笑んだ。「申し遅れました。私は三條玲。圭の双子の兄です」 その一言に、私は思わず息を呑んだ。「双子の...お兄さん?」「ええ。まあ、7分ほど早く生まれただけですが」 圭が重い口を開く。「紹介が遅れた。俺の兄だ」 その声には、普段の圭からは想像できないほどの緊張感が滲んでいた。 玲は私をじっと見つめ、まるで値踏みをするように言った。「へえ、圭が"婚約者"を連れてくるとは聞いていたが、まさか一般の方とは……そこまで追い詰められているのかな」「玲……無礼だぞ」「いえいえ、悪い意味ではありませんよ。むしろ興味深いと思っってね……私は圭とは、女性の好みも似ているのでね」 玲の視線が鋭く私を捉える。その瞬間、背筋に冷たいものが走った。 ——この人は、どこか危険だ。 それは理屈ではない、本能的な警告だった。 しばらくして、圭が親族への挨拶のため席を離れた。 私は庭園の隅で一人、シャンパンを手に夜景を眺めていた。投資の失敗で動揺した心を落ち着かせようとしていたその時—— 「一人ですか?」 振り向くと、玲が静かに近づいてきていた。「圭は忙しそうですからね。少しお話ししませんか?」 逃げ場のない状況で、私は小さく頷いた。 玲は私の隣に立つと、グラスを傾けながら言った。「美咲さん、三條家について、どの程度ご存知ですか?」「……それほど詳しくは」「そうでしょうね。では、今日の出会いの挨拶がわりに、ひとつ教えて差し上げましょう」 玲が私の耳元に身を寄せる。その瞬間、背筋が凍りついた。 「知ってるか?三條家には古い|掟《ルール》がある」 囁くような声が、私の鼓膜を震わせる。「家督を次ぐ男子は40歳までに妻を娶り、世継ぎを得なければ、その資格を失うんだよ」 私の心臓が大きく跳ね
白金の静かな夕刻。 三條家—— 日本でも指折りの名家にして、日本財界の中枢を握る一族。 今夜私は、その家が主催する“公式の晩餐会”に、圭の“婚約者役”として出席する。 車窓からの景色すらどこか現実感が薄い。 私が乗ったタクシーは来客専用の車寄せへと静かに滑り込んだ。 アンティークな石造りの柱、整えられた石畳、控えめな照明、そして奥にそびえる明治時代から続く重厚な洋館——。 同じ都内なのに、まるで時間の流れまで違う気がして、胸の奥がきゅっと痛む。(また……場違いなところに来ちゃったな) 思わず息を呑み、鼓動がせわしなくなる。 着慣れないドレスの裾を、震えを隠すように握りしめる。 黒服の案内人に導かれ、重厚な鉄扉が静かに開く。 一歩足を踏み入れた瞬間、眩い光と深い静寂、非日常の重みが一気に押し寄せてきた。 ——まるで、映画のセットの中に迷い込んだみたい。 シャンデリアの光、磨き抜かれた床、天井まで届く本棚と高価そうな絵画。 どれもが“この家の格”を雄弁に物語っている。 重厚なホールを進むと、中庭——いや、庭園と呼んだ方がふさわしい広大な会場に出た。 点在するテーブルにはシャンパンがきらめき、ウエルカムドリンク片手に談笑する紳士淑女たちの輪。 どの人も、何気ない所作の中に“自信”という見えない鎧をまとっている。 私はといえば、場違いな不安を隠そうと、精一杯の微笑みを浮かべた。(本当に……大丈夫かな、私) そのとき、奥から圭が歩み寄ってくるのが見えた。 なぜか、その姿だけがすっと心に灯りをともす。「今日もいいドレスだ」「ありがとうございます。……でも中身はただのOLなんですけど」 照れ隠しのつもりが、声がほんの少し震える。 彼は私にだけ聞こえるように、低い声でささやく。「色々詮索されると思うが、下手に振る舞わなくていい。君は君らしくしていてくれ」 その一言で、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。 けれど同時に——圭の言葉が“試されている”ようにも感じてしまう。(“素”のままで通用するはずがない、自分が一番よく分かってる) 私は姿勢を正し、控えめな笑顔で、そっと彼の腕に手を添えた。 (せめて、今だけは“隣”に立ちたい。どんなふうに見られても) 庭園中央のテーブルには、ひときわ華やかな輪ができていた。 その中心
週末が迫る金曜日。 私は、圭から託された"婚約者"という大役を前に、気持ちが落ち着かないままデスクに座っていた。 オフィスの窓から差し込む午前の光が、デスクの書類を白く照らしている。周囲では同僚たちがキーボードを叩く音、電話の応対の声が聞こえる。 いつもと同じ、金曜日の風景。 でも、私の心は——ここにない。 午前中の業務も、どこか上の空だ。自分でスケジュールを管理しているはずなのに、頭の片隅でずっとぐるぐると考えているのは"明日の晩餐会"のことばかりだった。 ——本当に、大丈夫かな、私。ちゃんと役目を果たせる? 不安に胸がざわめく。 三條家の晩餐会。財界の名士たちが集まる場所。そこで私は、圭の"婚約者"を演じなければならない。 胃の奥がきゅっと縮む。 けれど、ここで逃げ出すわけにはいかない。 たとえ演技でも、この機会に"華麗なる財閥一家という舞台で三條圭の隣に立つ自分"がどんなものなのか、知ってみたいと思った。 それに、彼の母や親族とどう向き合うか——今の自分の"度胸"も試される。 ふと、圭の顔が頭に浮かんだ。あの冷たい目。でも、時折見せる優しさ。 ——私は、あの人のことをどう思っているんだろう。 その問いに、まだ答えは出せなかった。 ◇ だが、今日、もう一つの"勝負"が控えていた。 それは投資家としての私、天道美咲の次なる一手——新しい銘柄への挑戦だ。 昼休み、私は会社近くのカフェの片隅で、スマホの証券アプリを見つめていた。 テーブルの上には、手をつけていないアイスコーヒー。氷が溶けて、水滴がグラスの表面を伝っている。 脳裏に浮かぶのは、あのTYコムでの"勝利"の記憶。自分で情報を集め、仮説を立てて当てたあの瞬間の高揚感。 あの時の震えるような喜びを、私はまだ覚えている。 ——でも、あれは一度きりの偶然だったんじゃないかって、まだどこかで思ってる。 ビギナーズラック。まぐれ当たり。 そんな言葉が、頭の中をよぎる。 だからこそ、もう一度自分を試したい。 たまたまの幸運ではなく、「本当に読めているのか」。 次に狙う銘柄は、中堅IT企業の"レヴァンスト"。 公式IRや過去の決算短信、経営者インタビュー、さらには最近の業界紙の小さな記事まで——この一週間、徹底的に洗い直した。 夜中の2時まで資料を読み
——再び三條圭からのメッセージ。 デスクでスマホを確認した私は、思わず声を上げそうになった。 【待ち合わせの場所は——】 指定されたのは、丸の内の超高級ホテル・アマテラス。その最上階にあるラウンジバーだった。 (……こんな高級ホテル、人生で一度も行ったことないですけど) 興味本位で調べてみると一番安い部屋ですら一泊25万円………私の1ヶ月分の家賃より遥かに高い。 想像しただけで胸が高鳴る。けれど、すぐに現実的な問題が押し寄せてきた。 (あぁ……着ていく服が、ない) 会社帰りの地味なスーツじゃ、絶対に浮いてしまうし、三條圭に恥をかかせるかもしれない。 かといって、買いに行く時間も、センスも……なによりお金がない。 (財界のシンデレラか……私の普段の貧しさからすれば確かにそうなのかも) ため息をつきながら、ふとスマホの連絡先をスクロールする。 本庄マイク。 財界パーティの日に、奇跡の大変身を施してくれた天才スタイリスト——そういえばLINEも交換していた。 (……ダメ元で、相談してみようかな) 勇気を出してメッセージを送ると、すぐに返事がきた。 【なにそれ、めっちゃ疼く!任せて!】 退勤時間になると同時に会社を駆け出し、指定された本庄のアトリエへ向かった。 着くなり彼は、あの強烈な目力と、バチンと音がしそうなウインクで出迎えてくれた。 「さあ、こっちよ!急いで!」 そのテンションの高さに一瞬たじろぎつつも、私は彼の用意してくれた試着ルームへ飛び込んだ。 1時間後、用意してくれたコーディネートは完璧だった。 洗練されたネイビーブルーのワンピースに、控えめなアクセサリー。 本庄は一言、「今夜のあなたは普通の“美咲”じゃない。“選ばれる側”の顔で行きなさい」と背中を押してくれた。 「うん、本庄さんの選んだ衣装なら自信が持てる——ありがとう」 そして迎えたアマテラスの最上階バー。 エレベーターのドアが開いた瞬間、空気が一変する。 入り口で一瞬立ち止まり、思わず圧倒された。 柔らかな照明に、漆黒の大理石。 壁一面がガラス窓からは皇居の緑がまるで夜の海のように広がり、それを包み込むような夜景が180度広がっていた—— “これが本物のラグジュアリーなんだ”と息を呑む。 アマテラスのレスト
——数日後。 昼休みが終わり、会社のデスクに戻った私は、心臓の鼓動を抑えられずにいた。 オフィスの蛍光灯が、いつもより眩しく感じる。周囲の同僚たちのキーボードを叩く音、電話の呼び出し音、コピー機の駆動音——全てが遠くに聞こえていた。 ここ最近の経験したことのない情報量と人間関係のうねりに、全身の神経が尖っている。だが今日は、それ以上に大切な瞬間を迎えようとしていた。 スマホを手に取り、証券アプリの画面を何度もタップする。 時刻はもうすぐ14時。 あと数分で、私の投資プラン第一弾——TYコムのIRがリリースされる予定だった。 壁の時計を見る。秒針が、やけにゆっくり動いている気がした。 ——大丈夫。資料は何度も読み込んだ。業界の動向も現場で感じた。米国ファンドとの提携は必ず出るはず……出るよね? たぶん。 "仮説通りなら"——発表直後に株価は跳ね上がり、翌日にはさらに高騰、2日目の午後で売却して約60万円の利益を得る……というのが、私が導き出したシナリオ。 でも、その"もしも"が外れたら—— たった一つの失敗が、私のこの挑戦全体を台無しにするかもしれない。 唇が渇く。指先が震える。デスクの下で、足が小刻みに揺れている。 ——たった今、社運を賭けた勝負の記者会見を待つ社長って、こんな気持ちなんだろうか。 自分の意志で数字を動かす。その感覚は、どこか現実から浮遊しているようでもあり、地面に爪を立てて生きているようでもあった。 ◇ 14時ジャスト。 TYコムの公式サイトに、プレスリリースの通知が表示された。 ——きた。 画面を素早くスクロールする。指先が、かすかに震えている。「米系ファンドFDゴールドと資本業務提携。米国現地法人設立。新ブランドのグローバル展開を加速」 まさに、私が想定していたシナリオそのままの発表だった。 同時に証券アプリのチャートが跳ねる。緑色の数字が、みるみるうちに上昇していく。息を飲む間もなく、株価は右肩上がりのカーブを描いていた。 ——この瞬間、私は小さくガッツポーズをした。 デスクの下で、誰にも見えないように。でも、確かに。 ——やった。やったーーーーーっ! 目の奥が熱くなる。視界が、にじむ。努力と緊張と、あの日の"覚醒"。寝る間も惜しんで、資料とにらめっこしながら、必死にたてた仮説と







