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第6話:六本木レジェンド倶楽部

last update Veröffentlichungsdatum: 08.09.2026 17:50:19

 六本木プラザタワー。

 東京で最も有名なビルの一つであり今夜の社交界の舞台。

 私が向かったのはそのエントランスの奥、ひっそりとした通路の先にある「六本木レジェンド倶楽部」へつながる専用エレベーター。

 ほのかな光壁に照らされた淡いグレーのエレベーターホールは、東京のど真ん中とは思えない静寂に包まれている。

 そこには、一組のカップルが居た。

 男性はグレーのスーツを纏った壮年紳士。

 女性はエルメスのドレスに髪を美しく巻き上げた淑女。

 その姿勢、身なり、身のこなしを見るだけで「持つ者たち」だとわかる。

 私は彼らの後に続き、静かにエレベーターへと足を踏み入れる。

 ——行き先ボタンは一つ、“58階”のみ。

 まさに選ばれた人間だけが辿り着ける場所。

 エレベーターがゆっくりと昇るにつれ、あの男女が時折こちらをチラリと見た。

 (まさか、一人で来たのが変……?)

 (服装はちゃんとしてるし、プロにメイクしてもらったし……大丈夫だよね)

 その時、本庄マイクが最後に言っていた言葉を思い出す。

 ——「完璧に仕上がったわ。

 あとはあなたが堂々と歩けば完成……自信を持ちなさい」

 心の中で深く息を吸う。緊張は消えない。でも、顔に出すわけにはいかない。

 58階に到着すると、金属の重い音を残して扉が開いた。

 受付前で先ほどのカップルが金色の会員カードを提示し、慣れた様子で奥へと案内されていく。

 私は……カードなんて持っていない。

 一瞬だけ足がすくみそうになったが、拳を小さく握り自らを鼓舞する。

 「——本庄さんに、何より三條さんに、恥をかかせるな!」

 私は姿勢を正し、ゆっくりと、そして堂々と受付カウンターへと歩き出した。

 すると周囲にいた人々が次々と私を見る。

 明らかに、妙に注目されている。

 それでも怯まず受付に事情を説明しようと声を出す。

 「あの、私は——」

 そう言いかけた瞬間、脇に控えていた黒服の男性が、穏やかな声で話しかけてきた。

 「失礼いたします。天道様でいらっしゃいますね?」

 「え? はい、そうです。天道美咲です」

 「お待ちしておりました。三條様がいらっしゃる特別控室へご案内いたします」

 私は少し戸惑いながら、その男性にエスコートされる。

 円形の建物に沿った緩やかなカーブを描く廊下の先、柔らかい絨毯を踏みしめて歩く。

 「あの……どうして私が天道だと?」

 「三條様のご同伴の方ですから。見れば、すぐに分かりますよ」

 「……どこか、変でしたか?」

 黒服の男性は、少し微笑んで言った。

 「ご冗談を。明らかに“別格”のオーラがございましたので、間違いようがありません」

 “別格”のオーラ——ってなに?

 その言葉の意味は、まだ自分ではよく分からなかった。

 通路の外には大きなガラス窓。

 そこに広がるのは、宝石のように煌めく東京の夜景。

 赤く光る東京タワーがまるで、この街を統べる“証人”のようにそびえ立っていた。

 (私は……どこへ来てしまったんだろう)

 美しさと緊張に押し潰されそうになる心を、私は奥歯を噛みしめて支えた。

 その頃——

 六本木レジェンド倶楽部の最奥にある特別控室。

 パーティ主催側に用意された重厚なサロンには、三條財閥の人間たちが静かに集っていた。

 壁は漆黒のマホガニー、棚には年代物の洋酒とガラス工芸。

 財界の重鎮が集うそのラグジュアリーな空間は、まるで“裁判所”のような空気を孕んでいた。

 三條圭はその中央に立ち、窓際の夜景にも背を向け、黙してグラスの水を口に運んでいた。

「……それで? 圭、お前は一体いつになったら“人としてのけじめ”をつけるつもりだ」

 低く鋭い声が部屋に落ちた。

 発したのは、三條成彬。財閥の中でも政治畑を仕切る実力者であり、圭にとっては叔父にあたる人物だ。

 「男三五。副社長にしてグループの次期後継候補。それが未だ独身、婚約者の一人もいないとは、どういうつもりだ」

 ソファに並ぶ親類たちが、一斉に視線を向ける。

 社交辞令ではない、これは“血族”としての圧力だった。

「……自分のことは、自分で決めます」

 圭は短く応じた。

「責任とは、“自分で決めること”だけじゃないのよ圭。家の名を背負う者には、“決められた枠”の中で果たす責務があるでしょう?」

 もう一人、年配の女性親族が言葉を足す。

 圭はグラスを置き、無言のまま視線を床に落とした。

 (結局、誰も“私”を見てはいない)

 “次期総帥”“三條家の器”“圭様”――

 誰もが、自分に何かを期待し、計算し、そして形にはめようとする。

 それがいつしか、彼から“人を信じる感覚”を奪っていった。

「見合いの話、またいくつか届いている。一度くらい真面目に考えてくれ。顔も家柄も申し分ない相手ばかりだ」

 成彬の言葉に、別の親類たちが小さく頷く。

「で? 今日の同伴者は誰だ。どうせまた、適当に連れてきた女だろう?」

 そう言って誰かが鼻で笑った。

 圭は答えず、ただグラスの中の氷を見つめていた。

 その時だった。

 控室のドアが、静かに開いた。

 そして—— 天道美咲が、ゆっくりと入ってきた。

 ライトグレーに近いシルバーがかったドレープのカクテルドレス。

 派手ではないのに、ひと目で分かる“異質な美しさ。

 背筋を伸ばし、細い首をすっと立てたその女性は、

 明らかに場慣れしてはいなが、しかし——

 不思議と堂々としており、その目の奥に、静謐な光を宿している。

 彼女が現れた瞬間、室内の空気が明らかに一変した。

 沈黙。その挙動に集まる視線。

 誰もが思った。「誰だ、この女は」と。

 しかし何より、圭自身がその姿を見て、言葉を失っていた。

 (……まさか)

 彼女は“赤”を選ばなかったのか。

 過去、圭は本庄マイクに女性の同伴コーディネートを依頼する際、決まって「赤系が好み」と伝えていた。

 それは、“相手が自分に媚びてくるかを測る”ための嘘だった。

 そしてこれまでは見事に、全員が赤を選んできた。

 光沢のある真紅、ルージュのようなカーマイン、深いワインレッド——

 どれもが彼女たちの“処世術”の証だった。

 だが、美咲は違った。

 “圭に好かれる色”ではなく、“自分の良さが光るスタイル”を選んできたのだ。

 その瞬間、圭の胸にざわりと風が吹いた。

 想定外に初めて“揺さぶられて”いた。

 思わず言葉が詰まり、グラスを握る指先に力が入った。

「……彼女が、今日の私の同伴者になります」

 圭が口を開いたとき、親類たちの視線が一斉に彼女に注がれた。

「天道美咲です。本日はお世話になります」

 そう言って丁寧にお辞儀をする美咲に、誰かが探るように尋ねる。

「どちらの家の娘さんかな?お名前に聞き覚えがないが」

 すると圭がすかさず返答する。

「彼女は一般の方です。私が、必要だと判断し招きました」

 その言葉に、また一瞬の沈黙が走った。

 だが美咲は、その沈黙にも負けなかった。

 誰にも媚びず、怖気づくこともなく、まっすぐに圭のほうを見て、微かに頷いた。

 その仕草に、圭は思わず、ほんの僅かだけ口元が緩みそうになるのを抑えた。

 そして——

 その場にいた中で、誰よりも静かに圭の変化に気づいた者がいた。

 三條愛。

 圭の母であり、かつて社交界の女王と呼ばれた元華族の女性。

 彼女は、美咲と圭の視線が交差したわずかな時間に、“圭の内側が揺れた”ことを確かに察知していた。

 (……この子、ただの同伴者じゃないわね)

 それが彼女の直感だった。

 圭が、ただの“適当な女”にあんな視線を送ることなど、あり得ないわ。

 その時、色めき立つ雰囲気を断ち切るようき三條成彬が口を開く。

「今夜は、我々の進める例のプロジェクトの障害となっている大富財閥の面々も来ている——圭、しっかりな」

 部屋の空気が、ゆっくりと変わっていく。

 そうこれは、ただの財界パーティではない。

 今夜はなにか波乱が起こる――

 そんな、誰にも説明できない“予感”だけが、確かにその場に満ちていた。

(つづく)

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